読んだのは昨日ですが、あひるの空の立ち読みで、今日になってなんとなく思うことがあったのでと

以下あまり読むことをお勧めしない内容になっている気がします。


坂田さんが、一生懸命指導しようとしてくれているのがうれしかったと空が感じる場面がありましたが、そう思えたことをもっと大切にするべきだったんじゃないかと思った自分がいましたと。

中学の時、自分は卓球部だったのですが、コーチが途中で変わりました。
最初のコーチはそれなりに県内では実績があったのですが、掛け持ちでたまにしか来てくれませんでした。
その後、何かあったのか、なかったのかはしりませんが、来なくなり、2年になり、顧問の先生が代わってしばらくしたら、別のコーチたち(2人、たまに片方のお兄さんも来て3人になったり)が来るように。

このコーチはまだ若かったのもあり、非常に熱心に指導してくれました。弱小だった自分の中学(男女ともには団体戦はいつも一勝か二勝といった感じ)を県大会に出れるようにと。

自分の学年では外練をサボる人が非常に多かったです。後に部長になった人なんて、本当に酷かったです。外ではなく、体育館練習のときでさえ、サボる人は割といました。

そんなメンバーでも一生懸命指導してくれるコーチができたことに最初は本当に喜んでいたと思います。自分も嬉しかったです。


ただ、だんだんコーチがえこひいきしたり、理不尽なこと(多分その頃の世代の体育会系はそんなのだったのかもしれません)があったりと、不満を持つ人がでてきたりしたりと。練習が厳しいことに陰で文句をいう人だっていました。

個人的に一番反発した原因がコーチが自分をショートマンになるようにしつこく言ってきたことでした。

正直、自分は下手でした。そのせいで、他の人とやるときは先に攻撃に移られるときが多かったと。
そのためか、ブロックとかは、少しはましになっていたらしいです。

また、自分の中学で同じ学年にはショートマンはいませんでした。個人的にショートマンはペンのイメージがあるのですが、コーチはシェークでも普通にショートマンと言っていましたのでそこは気にしないことに。
wikiのだと前陣攻守型って感じです。

そんな理由があってのことでですが、自分は嫌でした。攻める技術が下手なのに攻撃のがよかったからです。
スマブラとかでも飛び道具撃っていればいいのに、なんか嫌になって突っ込んで返り討ちにあうような性格は当時からでしたから。というよりも、当時は今以上だったかもしれません。


逆にコーチはどうしてもその戦型が欲しかったのか、それになれば団体戦に出すという条件を出してきたほど。

その出来事が長く続いている間にあった、ランキング戦で自分が奇跡的に二位になったときですら、自分は団体戦に出してもらえませんでした。
不満を持ちましたが、確かに今考えるとその判断は正しかったはずです。確かに自分は物凄く下手だったのですし、そのときのシングル(学校ごとに出れる人数に制限がある大会で初めてでたもの)も緊張しまくってボロボロだったのですから。

結局最後までその戦型の人は下手な自分よりさらに下手な人で、団体戦はおろかシングルにもでれないままだった人だけでしたと。

その人とダブルスで組まされるなど、その断り続けたことのせいで多少扱いが悪かった気はしますが、努力していたことだけはきちんと認めてくれてはいたんですよね。

それを思うと、もう少し歩み寄れたんじゃないかと思えたりも。今やり直せるとしても、戦型は変えないでしょうが、それでも、というのは未練なんですかね。