最近他人に物を貸す機会が増えた気がします。
昔は貸し出し期限を守れる人とわずかな例外の人ぐらいに貸さなかったんですよね。ケチですから。

だけど、最近は漫画とかCDを貸したりとかする機会が増えました。
しかも、前と違って約束した期限を守るかじゃなくて、とりあえず返っては来るだろう基準になっているんですよね。

親しい人には甘い性格なんで前でも例外はありましたが、最近の場合はよく話すからそこそこ話す程度です。

昔から個人的な親友の基準がよく遊んだりして、かつ信用できる人。
友人の基準がよく遊ぶ人や、それなりに遊んだりして、それなりに信用できる人でした。自分でははっきりしていました。基準が結構厳しかったので自分でそう思っている人は多くなかった気がしますが。多分、相手がそう思っていてもこっちは友達未満ぐらいにしか思っていなかった人も結構いたと思います。

けど最近は環境が高校になって変わったせいかよく分からないんですよね。
電車通学の人もいますし、同じ中学から同じ高校から進学した人が同じ学年にはいないので、高校の知人と学校外では会うことすら多くないです。遊ぶのは中学のときの友人と比べると圧倒的に少ないですし。
ただ、結構話したりする人は当然いますと。クラス替えやいろいろ揉め事あったので、高1と高2で大分変わっていますが。

そこの人達を自分は今友達と思っているのかがよく分からないんですよね。
と言うか人によってはクラスメイト=友人の式が成り立つ人もいるっぽいですが、俺にとってはクラスメイトでも名前を未だ覚えていない人だっているのに、それをすべて友人とは思えませんと。
かと言って、結構話す人とかある程度以上話す人とかを友達と考えると、中学以前友達未満ぐらいに思っていた人達は何だったとなりますし、かと言って、同じ基準だと学校に友達がいない何か悲しい人(悲しく感じない人ならいいのでしょうが、自分は悲しく感じますので。もしそう感じない人がいましたらすみません。)に思えます。

となるとその時点で今の自分にとっては、利益を考えなくてもいたほうがいい人のなかから家族、恋人(残念ながらいませんが)などを除いた人たちで高順位なのが友達なんですかね。これだけだと他の人も混ざったりしますが。

...何か自分が冷たく思えますよと。


みなみけ

引っ越してきた男の子に関する話。
カナの誘いを勘違いした藤岡が哀れですと。

いい子に思われている男の子はいやなことを断れないだけだったと。
で、千秋だけそれを気づいて、言葉をかけることが核なんですかね。
それ以外も面白いのですが。
あれだけいて、千秋以外そのことに気づかないのは単にいい子だと信じていたい大人の希望...というか偏見ですね。